Author Archives: Naoya Uchida

自分らしさとは。そのままの自分とは。

最近、離れていった人がいます。
その分、言葉を発する相手を失いました。

誰かに向けての言葉。僕が言葉を選ぶ時、
僕はこの人たちに何を求めていたんだろう。
この人たちが幸せになること。いや違うかもしれない。

それは自分勝手なことだったかもしれないけど、
僕がこの人たちに期待していたのは、自分で何かを決めて、何かをやって、何かを実現した時の達成感や充実感を味わって欲しかったんだと思う。

そして、自分がそういう生き方をしていること。そういう選択をしていくこと。
それが僕にとって大切な価値であり、そういうことをに対して共感、肯定して欲しかったんだと思う。

しかし、もちろん全ての人が、僕と同じことに価値を見出しているわけではない。
決めないことが心地よい人もいれば、流れに身を任せることが心地よい人もいる。
というのはわかっています。

僕のやり方は勝手かもしれないけど、それでいい。自分がこの人のためになると信じて、真摯に向き合ったからです。それぞれの人が、自分の信じるやり方を表現すればいいと思います。

僕にとっては、何かをやって失敗する怖さよりも、できたときの嬉しさの方に価値がある。
だからつい物事を変えていく方向に、まずやってみようと、動かしていこうとしてしまう。

それが、変化する怖さや、自分の気持ちに対峙できない人にとっては、耐え難い苦しみになることがあるようだ。

自分の責任で物事が進むのが怖いひとにとっても、とても苦しいことのようだ。

しかし、それでもなお僕は、怖くてもやってみようと言う。
怖くても自分で決めなきゃダメだと言おうと思う。

鬱の人に頑張ろうは禁句。この考えに、全面的な同意はできません。

そのままでいいよと言ってあげること。それは、きっと一時の救いにはなるかもしれない。
本当に苦しすぎて、死ぬ寸前の人にとっては、休む時期、頑張らない時期は必要とは思うけど。

でも、自分を成長させようと思ったたら、やっぱりどうしても「頑張ろう」が必要だと思うからです。
「そのままでいい」では、「本当はもっとできる」自分には気づけないからです。

本当に小さい事でもいいから、「自分で決めた」ことを一つ一つクリアしていくことで、なりたい自分や、自分らしい自分に、近づいていけると思う。

怖くて怖くて、仕方ないことでも、1歩でも半歩でもいいから、自分で決めて自分で進むことが、その人のなりたい自分に近づける方法だと思います。

あなたのなりたい自分は何ですか?
あなたらしさって何ですか?

それをちゃんと分かるには、わかりやすい「そのままの自分」に安心してるだけじゃダメなんですよ。

「そのままの自分」の中には、たしかに「なにもやりたくない自分」も、「怖くてなにもできない自分」もいる。
でも、「みんなに愛されたい自分」も、「生き生き活躍したい自分」も、「なんでもできて誇らしくなりたい自分」もいるはずです。

ダメな自分ばかり認めて、やりたい自分や活躍したい自分を無視しては、自分で自分を沈めているだけで、「そのままの自分」なんかじゃありません。
ダメな自分にダメにされているだけです。

だから、

あなたのなりたい自分は何ですか?
あなたらしさって何ですか?

なんですよ。

僕も、なりたい自分になれるように。
自分らしくいられるように。
やっぱり、頑張ります。

できる自分。できた時の喜び。
そういうものを、一緒に感じて欲しいです。
そういう仲間と、一緒に仕事をしたいのです。

牛の蹄病治療

牛は偶蹄目(ぐうていもく)といって、指2本で立っている動物です。…と思ったら、偶蹄目は廃止されたみたいですね。現在では鯨偶蹄目(くじらぐうていもく)と言うみたいです。牛、クジラ、ラクダ、ヤギ、などは、哺乳類の中でどうも近縁という事らしいですね。

牛のツメを蹄(てい)と言います。蹄に何か障害があるのを蹄病(ていびょう)と言います。

牛舎の床はコンクリートでできている事が多いのでうまくツメが削れなかったり、長時間立っている事で血行が悪くなったりしてツメ(蹄)が痛くなる事があるんです。

今日は右後ろ脚が痛い牛の治療をします。

これが右後ろ脚。歩き方から予想していた通り、その外側(写真右側)の指が痛いようで、大きなっています。ヒトの指と違って、地面につく部分まで硬いツメで覆われています。

横からみるとこうなってます。

後ろからみるとこう。ちょっとわかりにくいですが、外側の蹄と内側の蹄の高さが違っています。

牛も痛いところで立ちたくないので、内側ばかり使って立ちます。内側の蹄が削れていくと、痛い外側の蹄はどんどん大きくなって、バランスが崩れてくるんですね。

痛いところを鎌で切ってみると、

ツメの接地部分に亀裂が入っているのがわかります。

もう少し削ると、痛い部分がでてきました。蹄の後ろ(かかと)の方が痛いんですね。

痛いところで立たないように、先の方は平らに削って立ちやすくします。

内側の蹄はあまり削らず、高さを揃えます。

それから、外側の蹄のつま先で立てるように、痛いところをたくさん削って低く(小さく)します。立っている時に痛いところが地面につかないようにするんです。

立った時触らないような形にしてあげると、痛みが減るので歩きやすくなります。

 

 

 

 

 

 

 

これで終わり。立たせて牛舎に戻してみましょう。

あー。歩き方がだいぶ良くはなったけど、やっぱりまだまだ痛いみたい。もっと痛いところをたくさん削ればよかったかな…。

まー、ひとまずこれで回復を待ちましょう。

お疲れ様でした。

メリーとマリー

わたしはメリー。
毎日ここで草を食べてるの。

わたしはマリー。
毎日ここで草を食べてるの。

そこに、女の子のユリちゃんが来ました。

あ、ユリちゃんが来たー!
わーい!あそぼ〜!

ユリちゃんは言います。
メリーちゃんは、白くてきれいね!
だから、美味しいトウモロコシをあげる!

マリーちゃんは、なんか茶色くてきたない!
私はメリーちゃんが好き!
メリーちゃん、あそぼー!

わーい!あそぼー!

…。
わたしは?わたしは?
…。

向こうでメリーちゃんとユリちゃんは楽しく遊んでいます。

めーん。
わたしは…。めーん。

わたしは、ユリちゃんと仲良しのメリー!
毎日ここで、ユリちゃんと遊んでるの。

わたしは、茶色くて汚いマリー。
ユリちゃんに遊んでもらえないの。
めーん。めーん。

だれかあそぼう?だれかー。
マリーちゃんは、丘を登って、
どこまでもあるいて行ってしまいました。
めーん。めーん。と泣いていました。

ある日。今日もユリちゃんとメリーちゃんはなかよく遊んでいました。
日が暮れて帰るとき、ユリちゃんが言います。

メリーちゃん。今日でお別れなの。
わたしはずっと遠くに行くことにしたの。
メリーちゃん、大好き。
楽しかったわ!元気でね!

メリーちゃんはなにも言わず。
ただめーん。めーん。と泣きました。

大好きなユリちゃん。行っちゃったんだ。

だれかあそぼう?だれかー。
メリーちゃんは、丘を登って、
どこまでもあるいて行きました。
めーん。めーん。と泣いていました。

何日も、何日も、あっちの草を食べたり、こっちの草を食べたりして、歩きました。

メリーちゃんはそのうち、どこに向かっていたのか、なにをめーん。と泣いていたのか、忘れてしまいました。

めーん。
ああ。今日も朝日がきれいだな。
青い草のにおいも素敵だな!

めーん。
でも、ひとりはちょっと寂しいな。
だれかあそぼう?だれかー!

あそぼう!
声とともに、向こうの茂みから、何頭かのヤギが出てきました。

そのうちの一頭は、茶色くて、汚いヤギ。

はじめまして!
わたしは、マリー!
毎日ここで、みんなと遊んでるの。
あなたのおなまえは?

はじめまして!
わたしは、メリー!
毎日だれかを、探していたの。

いっしょにあそぼう!
マリーちゃんは、茶色くてかわいいね!

うん。あそぼう!
メリーちゃんは、白くてきれいだね!
あっちの草が、美味しいんだよ!
めーん。めーん。

メリーちゃんは嬉しくて、楽しくて、
めーん。めーん。となきました。

今日もみんなで、
めーん。めーん。

多分、明日もみんなで、
めーん。めーん。

毎日、遠くの山に日が沈むまで、
みんなでなかよくあそびました。

おしまい。

表現するのが苦手な人へ

たまには獣医的なことを書こうかとも思うんですけどね。

診療行為って、専門的になりすぎるので、ブログの読者さんの為にもならないかなぁと、なかなかやる気が出ないんですよね。

文を書くときって、伝えたい人が誰かによって言葉遣いも変わるし表現方法も変わります。
伝えたい人が明確にいるほど、すんなり書けます。

逆に書けない時。または書いても、なんとなく恥ずかしくて出せない時。
そういう時は、大抵、「自分が」わかってほしいと思っていること。「認めてくれよ!」とか、「カッコイイでしょ!」とか。心の叫びみたいなものを、隠してうまく書こうとしていたり、書いてしまっていたりすることが多いです。

その恥ずかしいと言う感覚は結構大事で、自分の心根に気づいちゃってるんですよね。

誰かの為になる。とか、あの人に届け。とか。
そしてその人が喜ぶに決まってる。
などと心底思ってる時は、記事を公開する事に全く躊躇がありません。

もし自分が、記事を出すことや、何かを表現する事に躊躇している時は、きっと自分の心が、自らの本当の意図に納得してない時かもしれませんよ。という話。

そして、
診療の話書こうかなと思ってブログ始めたのに、獣医と関係ない気づきや想いばっかり書いちゃってる言い訳、の巻でした。

わかってあげるとうまくいく

本当に自分が心を動いたことを、わかってもらえると、満たされた気持ちになります。

例えば、獣医の仕事内でいうと
血糖値曲線を作成するときの面倒くささ
大型犬をレントゲンの台に乗せるときの苦しさ
分からない病気に向かい合う不安

敢えてわかりにくい状況を挙げましたけど、
そういう時には心が動きます。

別に、手伝って欲しいわけじゃないんです。
ただ、そこんところの心の動きを、わかって欲しいだけなんです。
はっきりいって、これがどういうことなのかわかってくれる人に普段はほとんど出会わないんですけど、たまにいると嬉しいんですよね。

他にも、仕事についてだけじゃなくて、
何かを達成した時の充実感
叱られる悔しさ
とかでもいい。

なんでもいいんですけど、特定の状況で、喜びや悲しみ、不安や興奮、それらが混ざった複雑な気持ちなんかのことです。

そういうのを、わかってもらえる事。
たったそれだけの事が、毎日の生活で本当に重要な力を持っています。
わかってもらう事はほとんどの人にとってってかなり重要なんだと思います。
僕は自分にとって簡単な事ほど、わかってもらえないとすごく悲しいです。
期待していないような難しい事ほど、わかってもらえるとすごく嬉しいです。

仕事においてもそうなんです。
お客さん、患者さんも人ですから。

だから獣医の仕事をする時は、飼い主さんがどこに心を動かすのか、意識的に感じてみないといけません。

そこで一度は動物を飼ったり手伝いをしてみると、いろんなことが分かるので、仕事にすごく役立ちます。

牛農家さんなら例えば、
牛舎を清潔に保とうと思っていても、すぐに汚れしまう事。
牛の糞便を処分する時は、まずレーキで引っ張って集めて、一輪車に乗せて、堆肥場まで運ぶ。その時、あと少しでいいから近かったからいいなと思う。
で、ちょっとサボると量が増えて、重さで肩や腰が痛くなる。予想より遥かに時間がかかってしまって苦しい。
毎日見てても発情がわからず苦しい。
とか。

犬猫の飼い主さんなら例えば、
子犬が初めて家に来た時に、呼び鳴きが続く苦しさ。
毎日ちゃんとごはんを食べてる姿を見る幸せな気持ち。
とか。

獣医技術に優れて、本当に治せる事はもちろん重要です。
でもそれと同じくらい、
どんな時にその人が心を動かすのかをわかってあげる事が重要なんです。
それはいつでも、その人の心を満たすプレゼントになります。
そしてそこにきちんと意識が向いてないと、結局治療もうまくいきません。

つまり、
この人はどこが苦しいのかな?
この人は何が嬉しいのかな?
という事に意識が向いていないと、
飼い主さんが困ってるのは、「動物が病気である事」よりも「経営不振」である事とか。「病気を治す事」よりも「治らなくていいから痒みを取って欲しい」とかだったりするんですけど、
そういう事を勘違いしてしまうんです。

すると病気を治すために最善を尽くして医療費がかさんだり、根治を目指してかゆみ止めを使わない治療をしたりします。

結局どちらも飼い主さんを苦しめてしまう結果になります。

そうなったら、せっかくの自分の努力が報われません。喜んでもらえず、後味悪いです。

難しい事をわかってもらうと嬉しいですよね。
簡単な事をわかってもらえないと悲しいですよね。
だから、わかってあげましょう。
わかってあげる「だけ」でいいんです。

そしたらけっこう、いろんな事がうまく行くと信じています。

なんでもやっていい仕事

獣医さんはね。
「動物と関わる人を助ける」のが仕事です。

動物と人との関わり方は様々です。
動物に対する感情も人それぞれです。

仲間や兄弟、友達だと思うひともいるでしょう。
迷惑な存在だと思うひともいます。
興味深いと思うひとも、嫌いな人もいるでしょう。
お肉として見る人もいれば、神として崇める人もいます。

どれも正解です。
というより、誰がどう思おうが自由です。

「産業動物獣医」の仕事は、「食べものとしての動物と関わる人を助ける」のが仕事なんです。

具体的にはその動物をうまく飼うこと。
健康な牛や豚やヤギなどを、少ない人数で飼えるようにする事や、たくさんの動物が病気にならないように、うまく病気を防ぐ対策をする事です。
またはその動物がお肉になって人の口に入るので、人の健康に危険が及ばないようにすること。
をします。

お肉を食べものと考える人達は、けっこう多数派ですから、この仕事は人の生活や食を健全に保つ上でけっこう重要な仕事とされています。

僕は食べものをつくる仕事をしようと思って獣医になりました。
でも、高校生の僕はちょっと間違えてましたね。つくってるのは畜産家で、獣医はその人たちを助けています。

今の仕事の中では、科学や畜産技術の追求はもちろん大切なんですが、思ったより「気持ちを助ける」のが大きな割合を占めているなと感じています。

まー自分で肉を作ってもいいんですが、
そこに心血注ぐより、熱い畜産家の方が喜ぶのがなんか楽しいので、それで良かったなと思っています。

かつて犬猫の獣医も、公務員もやってみました。
そうしているうちに、いろんな人の動物に対する考え方や関わり方がある事を知りました。

だから最近は、
「動物と人間のかかわりならなんでもやっていい職業」なんだと思っています。
そう考えると、けっこういろいろ出来そうです。

せっかく会社もある、仲間もいるし、
次は何しようかなーと考えています。
誰を喜ばせようかなーって事です。

獣医って、そういう広がりがある職業です。
資格が必須ではありません。
会社って、そういうところです。
何をしたらおもしろいか、一緒に考えていきましょう。

仕事が苦しいひとへ

仕事にいつでも行けるのは、
心を凍らすのに慣れた人。

仕事、やりたくないなー
となったとき。

心凍らせて、そんな気持ちは無視する習慣。
大人になるほど、そうなってくる。

するとね、ほかの誰かが心折れて、休んだり辞めたりした時に、
無視された心が怒りとなって溢れてくる。

そんな事も出来ないなんて。
なんてわがままなんだ。
人としてどうなんだ!
社会人として!
みんな頑張ってるのに!

…。

心の一部だけを凍らす事は、多分けっこう難しい。
苦しみに蓋をすると、喜びや感動も一緒に出てこなくなる。
それはさびしい。

僕は、どっちも大切にして欲しい。
どっちもわかる。いい歳なんで。

こんな時、どうしたらいい?
と悩んで考えてみた。

その人に、自分の心に正直になってほしい。
それは、僕と同じになって欲しい、僕の生き方を肯定してほしい事の裏返し。

みんなの為に、少しだけ我慢してくれてもいいんじゃない?
これは、自分の為に、都合よく動いてもらいたい。という事。

なーんだ。どちらも利己的な話じゃないか。

じゃあどうする?

ここで、
「自分のわがままは、そのまま相手の利己的な行動を肯定する事になる。」と気づいた。
と同時に
「利他を強要する事は利己的であり、利他を強要された人たちの怒り」なんだ。

だから、利他の強要に怯えて、利己を抑える事はない。
みんなの為、という美徳に歪められてはいけない。美徳で縛り合う連鎖から、逃れなければいけない。

これを一気に逆回転させてみよう。

まず最大限利己的に動く。
そして利他を強要された人たちの、利己的行動を肯定してやる。
そうすればきっと、自らの利己的な気持ちを肯定された人たちだけは、こちらを肯定してくれる。
その時もし目的が同じ方向だったら。
いずれお互いに同化し、結果としての協力が生まれる。

という流れを作ろう。目的が同じ方向である事を信じて動くしかないよね。

だから、
最大限利己的に動く事。
もちろん他者の利を妨害する事は除く。
利己を意識した人助けは全く問題ないが、利他を意識した人助けは控えるか、禁止でもいい。

利己的でいいんだから、悩むことはない。
利己的なんだから、他者が同意しなくても当たり前。
そしたらひとに期待する事がなくなるはず。
期待しなければ、怒りもなくなる。

妨害されたら戦うか、それも面倒なら離れる。

そう。
社会的な判断じゃなく、自分の判断で動くこと。
つまり助けたいなら助ける。助けたくないなら助けない。
それが、みんなの為であり、自分の為になる。

だからね。。。。

仕事選ぶときも、仕事で悩んだ時も。
仕事じゃなくても、毎日なにかを決めるとき。

自分の行動を、自分基準で決めてみてください。
自分は今、自分の判断でこれをやる。なぜなら、

私は、
技術を得て独立したいから。
お金を稼ぎたいから。
海外旅行に行きたいから。
大切な人を守りたいから。
治ったら嬉しいから。
喜ばれると嬉しいから。
褒められると嬉しいから。
ここに居たいから。
この場所が好きだから。
キレイなものがみたいから。
安全な場所に居たいから。
心穏やかに居たいから。
ひとに注目されたいから。
愛されたいから。
そうじゃないといけないんです。

必ず「私は」じゃないといけない。
「私だけは」と言い換えてもいい。

そうすると自然に相手の中にある「私は」にも気が付きます。
「あなたは〜するべき」から離れて、
あなたはどう感じる?
あなたは何を望む?
あなたはやりたい?やりたくない?
が見えてくるんだと思います。

そうやって、お互いの「私は」を見せ合って、違う方向なら、グッドラック!と言って別の道を歩きましょう。
ちょっと寂しいかもしれませんが、別に悲しい事ではありません。それはお互いを大切にする事です。

そうやって、お互いの「私は」を受け取って、もし同じ方向だったなら。。。
その時は、一緒に働きましょう。
喜んで協力できるはずです。
すごく力が合わさるはずです。
それが途中まででも、一緒に行ければいいんです。
きっといい仕事できるんじゃないかな。

夢を叶えないこと

僕ね。獣医やってるんですけど、イベント屋になりたいんです。

僕は高校生くらいの歳の子が好きなんです。
まー先入観も大いにあるんですが、
そのくらいの歳って、自分の気持ちがわからなくて、人目が気になってしまって、自分てなんだろうとか考えてて。
突き動かされるように、楽しい!とか嬉しい!とか情熱的で。でもその分、それが失われるのが怖くて無気力になったりして。
悲しいとか寂しいとかもくっきり感じている時もあって。

なんかそういう風に気持ちが揺れるのって、正直でいいですよね。そして不安定なものが、突如興奮して一気に前進する時。見てる方も興奮して、本当に嬉しいし、感動します。

だから、高校生バンドをみんなで盛り上げよう!みたいなイベントやりたいんです。

学園祭とかの感覚で、運営も出演も高校生主体でやって。

でね、そのイベントを盛り上げる為にみんなで一生懸命やったら、きっと信頼できる友達が出来たり、恋が生まれたりすると思うんです。

一生懸命やった思い出って、きっと一生忘れない宝物になると思うんです。

だから、それが出来る時間とお金に余裕が出来たら、きっとそれをやりたい!

と。ずっと思ってるし、たまにはひとに話したりしています。

で。。。
話してる時、すごく楽しいんです。バカな話ですが、本当にそんな風になったらと思うだけで感動して涙が出そうになるんです。

世間一般で言う、夢というもんなんですかね。

でね、多分少しずつ、そこに近づいてはいます。
いい歳になってきて、まあ生活は出来てて、いろいろ予測も立つようになってきました。

そうなると、
「そんなにやりたければやればいいじゃん」と言う自分がいます。そう言ってくれる人もいます。

じゃあ僕は、なんでやってないんですかね。

もしかしたら、やりたいことって、
「やりたいままで居たい事」なのかな。

夢はただ話してるだけで、けっこう楽しいです。こうなって、ああなって、あーもう楽しい。

でもね。
もしこれを本気で実現しようとしたら、うまくいかない事も想定して動かないといけません。

まず誰も、共感してくれないかもしれません。僕がひとりで興奮して「えーそんなの面倒」とか言われたら、傷つきます。誰も出たがらなかったら、それこそひとりぼっちです。仮に何名か集まってくれたとして、会議の出席率が悪くて、必要な仕事が割り振れなかったら?結局ひとりでやるんでしょうか?なんとか開催までこぎつけたとして、バンド自体が下手くそ過ぎて、シーンとしてしまったら?そもそもお客さんが誰も来なかったら?そして今まで一緒にやってくれた子たちがガッカリして「やらなきゃ良かった」なんて捨てゼリフを吐いて帰ってしまったら?

…怖い…怖すぎるでしょ…それ。

今まで僕は、誰かが「やりたい」と言う言葉を聞いたら、やる方法を一生懸命考えていました。
なんでやらないんだろう。今すぐ出来るのに。と思ってました。

でも夢って、成功するところまでが夢なんで、成功しない夢は悪夢だもんね。
これから夢見るとき、全部悪夢になっちゃうかもしれないもんね。

ブルブル。
それなら「やりたいまま」で、いいんじゃない?
そういうのを夢というのかな。

夢に向かって頑張る!のも素敵だけど、
夢を持ったまま、今の自分、目の前の課題を頑張る。
それでも、きっと自分を成長させる力にはなってくれていると思います。
それでなんとか成長していくのも、悪くないと思います。そんな風に頑張ってる人だって十分素敵です。

僕も、まー自然に叶う時が来ればいいな。

というわけで、
無理して叶えようとしなくてもいいんじゃない?夢が実現出来ない自分なんてダメだ!とか思わないで。

もちろん応援しますよ。心から。
きっと時が来たら、叶えられますよ。
そしたら祝杯あげましょう。

その時が来るまで楽しく夢を語りながら、目の前の事も頑張ってたら、けっこう清々しいもんですよ。
そんなあなたも、なかなか素敵ですよ。

という話でした。

居たい場所をつくる

毎日仕事してれば、苦しい事もあります。
その時不満や愚痴を言うと、聞いてもらえるだけでスッキリします。もし慰めの言葉をもらえたら嬉しいです。
でもね、聞かされた相手はいくらか消耗するんです。

楽しい気分の人と一緒にいると、人は楽しくなります。そういう人は楽しい気分を周りに与えているんです。
きっとそのうち周りが幸せな人ばかりになります。

僕は楽しい気分を与える人になりたいんです。
その方が間違いなく楽しいと思うからです。

…ちょっとかっこつけた感じになりましたね。本当は周りの人に、僕をしあわせにしてもらいたいだけなんです。

だからね。
苦しい時でも最初だけは、ちょっと無理して愚痴を我慢します。まるで楽しい人かのように振る舞います。
でも頑張り続けるのは辛いので、10個楽しく過ごしたら、1個だけ愚痴を漏らしていい事にします。

そうすると多分。
そのうち周りが楽しい人ばかりになるはずです。
さらにその人逹に影響されて、自分が楽しい気分にしてもらえます。
そしたらそのうち、もっと楽しい人が増えるはずです。

僕はそういう中に居たいので、
そういう会社にしたいんです。

苦しい事があるのは、承知です。
さて、楽しく診療行きますか。
(=゚ω゚)ノ

飼い主さんの言葉

農家さん(飼い主さん)とお話しする時、こんなことを言われます。

「先生!子牛が大分具合悪いみたいなんです。」

言葉の意味は、そのまま子牛が具合悪い。ということですね。
しかし、本人が本当にそう思っているかどうかとは一致しません。

農家さんが言う、どれくらい悪いかという言葉は、
「どれくらい不安か」という意味で、
「とにかく早く来て欲しい」という意図です。
言葉には、そのままの意味だけでなく、別の意味と意図があるんです。

別の例を出してみましょう。
電話で獣医さんが、
「昨日治療した子牛の様子はどうですか?良くなりましたか?」と聞いてみます。

すると、
「ああ。昨日よりはいいみたい。」と言われたとします。
この言葉、病気の状態とはあまり関係ないんです。

「継続して治療して欲しい」と言う意図と、
「あんまり良くなってないけど先生がっかりしないでね」という意図があります。

もしその時、
「良くなった!もう大丈夫!」と言われたなら、本当に良くなった場合は、そのままの意味です。
しかし、もうあなたにはきて欲しくない。という意図で言われている時もあるでしょう。
時に意図は、言葉の意味も変えてしまうんです。

誰でも、どんな言葉でも。
それを発する人の意図は、同時に存在しています。
そしてほとんどの場合、言葉の意味よりずっと重要です。

あ、そうそう。
動物には言語がないので、意図もありません。

ヤギは発情すると、しっぽフリフリ。スリスリ。
ウシは発情すると、「ウオー」と鳴いて誰彼構わず乗りかかろうとします。

ヒトの場合は。。。
「今晩お食事でもどうですか?」

って言います。難しいですよね。