「お前!言うこと聞け!」と動物に腹がたつときは、自分自身が原因
たまーになんですけど、動物に腹を立ててしまう時があります。
お前!言うこと聞け!と。
でもね。相手は動物ですから、この場合の怒りは、完全に自分が原因なわけです。
僕の中にイラつきや怒りが出てくるのは何故でしょうか。
動物に対して、「思い通りになれ」と理不尽な期待を押し付けている
「おい!治してやるって言ってんだろ!バカ!おとなしくしろ!」
そういう時。怒りが出てくる時。何故腹が立つのか。
それは相手の為ではなく、他でもない自分の為の行動だからじゃないかなと思います。
そいつは僕の為には動いてくれない。
動物に対して、思い通りになれと理不尽に期待してる時です。
ほら、俺はやさしいだろ。すごいだろ。感謝しろよ。という気持ちが欲しいだけ。
治してやるという満足感を押し付けてる時。完全に自己中な時です。
動物の相手を変えて、距離感をはかってみる
その腹立たしいアイツがもし、犬じゃなくて、牛だったら?
いや、ハムスターだったら?
いやいや、カブトムシだったら?
バクテリアだったら?
どの段階から、腹立たなくなりますか。
そこが相手に期待しないでいられる距離。相手の都合を優先できる距離。自然に相手を受け入れられる距離感なんでしょう。
え?全部いける?
じゃあ犬じゃなくて、サルだったら?
ヒトだったら?外国人だったら?
アイドルだったら?同僚だったら?
友達だったら?恋人だったら?
配偶者だったら?親だったら?
「あなたの為を思って言ってるのに!」
「あなたが喜ぶと思ってやってるのに!」
「俺の酒が飲めねえのか!」
「俺様はやさしいだろ!嬉しいって言え!!」
……。すみません。取り乱しました。
動物はただ、怖がっているだけ、嫌だと思っているだけ
その動物が、どんなに自分に懐かなくても、どんなに暴れて処置を嫌がっても。
その動物はただ、怖がっているだけ、嫌だと思っているだけです。
僕は相手が僕に近いほど、相手を受け入れられなくなる。
遠くの人の幸せを願うのは簡単でも、近い人には腹を立ててしまう。相手都合が分からなくなるみたいです。
「しょうがないよね。箸が使えないのは。だって犬だもん。」と思えなくなる。
いかんいかん。きみは犬なんだから、言ってもしょうがないね。きみには分からないんですよね。そんな事望んでませんよね。
「んー、どうする?きみ、そのままだと死んじゃうよ?」
そいつはそれでも、怖いのだ。生きたいとかは二の次なのだ。
当たり前だが、僕のエゴなどどうでもいいのだ。やさしいって言われたい気持ちなど、ひとから好かれたい気持ちなど、やさしくされたい気持ちなど。
「でも、しょうがないよね。それもきみの人生だし。とにかく怖いんだよね。わかったよ。
まー早く終わらして痛みだけでも取ってやるか。多分すこしは楽になるはずだよ。。。
あ!咬んだな!
こんなにお前の事思っているのに!( *`ω´)」