Category Archives: 産業動物獣医師のやりがいと大変さ・つらさ

産業動物獣医師の仕事内容とキャリア

産業動物獣医師の仕事内容とキャリアについて

一般の方向けに、

産業動物獣医師ってどんな仕事があるのか?というお話です。

約18分の対談です。お時間ある時にどうぞ。

産業動物獣医師のやりがいと大変さ、つらさ

産業動物獣医師は、どんな仕事をしているのか。

獣医師になりたい人が知っていなければならない

獣医と言っても、「ヒト」を見ないとダメなんです。

人の気持ちをわかる事が大切なんですよ。

動物の知識や技術は道具です。

どれだけひとを喜ばせることができるのか、どれだけひとを幸せにできるのか。

愛情の半分は動物に。半分は人間にも。

今回もwebマーケティングスペシャリストの中田さんとの対談です。

ついつい28分も喋ってしまいました。

web業界と獣医師には意外な共通点がありました。

お時間のある時にどうぞ。

なぜ獣医の仕事が「つらい」と感じるようになってしまうのか?

⭐️なぜ獣医の仕事が「つらい」「苦しい」となってしまうのか?

獣医になりたての頃は、自分が如何に獣医としてすごいかどうかが気になってしまう。
「すごい獣医」になるのは確かに難しいかもしれない。
だから、私なんて。。。と自信を失ってしまうのかな。

ある意味難しそうな仕事だからだろうか。
そのままでちょっとすごい仕事なイメージがあるからだろうか。

逆に、「命の責任を自分が負う」みたいに考えて、怯えてしまうのかもしれない。

助けられない自分なんてダメなんだ。と。
自分にできるのか?と言うところで、自信を失ってしまうのかもしれない。

でも、それは誰の役にも立たない独り言だと思う。
「すごい自分」という幻想を壊したくない、自意識過剰なだけ。また、期待されてる事を過大に考えすぎて、怯えてしまっているだけ。
ついつい、誰も気にしてない自分だけの悩みばかりに気を取られてしまう。

ある程度経験を積んでくると今度は、
そこそこ出来てる自分に甘えて、獣医というだけですごいと、傲慢になる。こんなにすごい事してるんだから、ある程度のわがままは当然だと思ってくる。

そこで、自分はこんなにすごくてエライのに、こんなに大変で、なんで文句言われなきゃいけないんだ!言う通りにしないんだ!と苦しくなってしまう。

これも仕事の成果とは無関係の独りよがりで、自分の理想とのギャップが悩みを作ってしまっているだけじゃないかなと思う。

ただ普通に仕事したら、たくさんの人が喜んで、自分も充実していくはずなのに、どうしても苦しくなってしまう。

 

⭐️獣医に求められているものは何か?

そういう理由で、仕事が怖かったり、苦しくなったりしてませんか?

獣医の仕事はそんなに特別な事ではありません。
獣医も神様じゃなく人なんですから、できることには限りがあります。

生き物は生まれて、何かあればすぐ死んでいくんです。全て助けられるわけじゃないんです。

難病を如何に治すか。どれほど高度な研究をするか。誰より頭がいいかとか。目標のひとつに持っててもいいとは思うけど、獣医に求められていることは、そんなことじゃないんです。

患者さん、農家さんは、真面目に勉強してきた獣医さんに、自分の困った事を真摯に受け止めてほしいんです。できない事をやってほしいんです。それでもし可能なら、解決して欲しいんです。

獣医に求められているものは、ただそれだけなんです。

獣医じゃない人は注射を打つのも怖いんですよ。薬の名前を覚えたり、薬用量を計算したりするのが嫌なんですよ。それができないんじゃなく、できたとしても、決めるのが怖いんですよ。私たち獣医と同じように。

そういう人たちの代わりに、獣医として普通にできることをやったら、ちゃんと喜ばれます。感謝されます。
もし治らなくても、その姿勢に相応の気持ちを返してくれます。そういうものです。

そうしていくつもの事例に対処していくうちに、自然と力がついて、自然と尊敬されていくんだと思います。

⭐️

仕事って、シンプルで自分を輝かせる事ができるものだと思います。

産業動物臨床の仕事だったら、

今、困っている人を助ける。
頑張って金を稼いで、大切な人を助ける。
このひとつひとつの仕事が、薬物の乱用を防いでいる。
この1頭を治す事で、食料資源が増えて社会が豊かになる。

という理由で、ただ、やればいいんです。

だから、僕は今日も仕事します。
もし、僕たちの仕事を見てみたい方や、一緒にやってくれる方がいたら、いつでも連絡くださいね。

特別な才能とか要らないんです。
普通に獣医として試験に受かり、毎日治療してたら、動物の身体に対する理解や知識はついてきます。
要るのは、前の記事: 仕事に向き合う姿勢。獣医師以外の方から学ぶこと のように、仕事にまっすぐな姿勢だけです。

一緒に頑張りましょう。

自分らしさとは。そのままの自分とは。

それぞれの人が、自分の信じるやり方を表現すればいい

最近、離れていった人がいます。
その分、言葉を発する相手を失いました。

誰かに向けての言葉。僕が言葉を選ぶ時、
僕はこの人たちに何を求めていたんだろう。
この人たちが幸せになること。いや違うかもしれない。

それは自分勝手なことだったかもしれないけど、
僕がこの人たちに期待していたのは、自分で何かを決めて、何かをやって、何かを実現した時の達成感や充実感を味わって欲しかったんだと思う。

そして、自分がそういう生き方をしていること。そういう選択をしていくこと。
それが僕にとって大切な価値であり、そういうことをに対して共感、肯定して欲しかったんだと思う。

しかし、もちろん全ての人が、僕と同じことに価値を見出しているわけではない。
決めないことが心地よい人もいれば、流れに身を任せることが心地よい人もいる。
というのはわかっています。

僕のやり方は勝手かもしれないけど、それでいい。自分がこの人のためになると信じて、真摯に向き合ったからです。それぞれの人が、自分の信じるやり方を表現すればいいと思います。

 

失敗する怖さより、できたときの嬉しさを求めて

僕にとっては、何かをやって失敗する怖さよりも、できたときの嬉しさの方に価値がある。
だからつい物事を変えていく方向に、まずやってみようと、動かしていこうとしてしまう。

それが、変化する怖さや、自分の気持ちに対峙できない人にとっては、耐え難い苦しみになることがあるようだ。

自分の責任で物事が進むのが怖いひとにとっても、とても苦しいことのようだ。

しかし、それでもなお僕は、怖くてもやってみようと言う。
怖くても自分で決めなきゃダメだと言おうと思う。

 

自分を成長させようと思ったら、「頑張ろう」は必要なときがある

鬱の人に頑張ろうは禁句。この考えに、全面的な同意はできません。

そのままでいいよと言ってあげること。それは、きっと一時の救いにはなるかもしれない。
本当に苦しすぎて、死ぬ寸前の人にとっては、休む時期、頑張らない時期は必要とは思うけど。

でも、自分を成長させようと思ったたら、やっぱりどうしても「頑張ろう」が必要だと思うからです。
「そのままでいい」では、「本当はもっとできる」自分には気づけないからです。

本当に小さい事でもいいから、「自分で決めた」ことを一つ一つクリアしていくことで、なりたい自分や、自分らしい自分に、近づいていけると思う。

怖くて怖くて、仕方ないことでも、1歩でも半歩でもいいから、自分で決めて自分で進むことが、その人のなりたい自分に近づける方法だと思います。

あなたのなりたい自分は何ですか?
あなたらしさって何ですか?

それをちゃんと分かるには、わかりやすい「そのままの自分」に安心してるだけじゃダメなんですよ。

あなたのなりたい自分はなんですか?

「そのままの自分」の中には、たしかに「なにもやりたくない自分」も、「怖くてなにもできない自分」もいる。
でも、「みんなに愛されたい自分」も、「生き生き活躍したい自分」も、「なんでもできて誇らしくなりたい自分」もいるはずです。

ダメな自分ばかり認めて、やりたい自分や活躍したい自分を無視しては、自分で自分を沈めているだけで、「そのままの自分」なんかじゃありません。
ダメな自分にダメにされているだけです。

だから、

あなたのなりたい自分は何ですか?
あなたらしさって何ですか?

なんですよ。

僕も、なりたい自分になれるように。
自分らしくいられるように。
やっぱり、頑張ります。

できる自分。できた時の喜び。
そういうものを、一緒に感じて欲しいです。
そういう仲間と、一緒に仕事をしたいのです。

表現するのが苦手な人・苦手な獣医師の方へ

表現するときは、「誰に届けるのか」を明確にする

たまには獣医的なことを書こうかとも思うんですけどね。

診療行為って、専門的になりすぎるので、ブログの読者さんの為にもならないかなぁと、なかなかやる気が出ないんですよね。

文を書くときって、伝えたい人が誰かによって言葉遣いも変わるし表現方法も変わります。
伝えたい人が明確にいるほど、すんなり書けます。

逆に書けない時。または書いても、なんとなく恥ずかしくて出せない時。
そういう時は、大抵、「自分が」わかってほしいと思っていること。「認めてくれよ!」とか、「カッコイイでしょ!」とか。心の叫びみたいなものを、隠してうまく書こうとしていたり、書いてしまっていたりすることが多いです。

その恥ずかしいと言う感覚は結構大事で、自分の心根に気づいちゃってるんですよね。

誰かの為になる。とか、あの人に届け。とか。
そしてその人が喜ぶに決まってる。
などと心底思ってる時は、記事を公開する事に全く躊躇がありません。

もし自分が、記事を出すことや、何かを表現する事に躊躇している時は、きっと自分の心が、自らの本当の意図に納得してない時かもしれませんよ。という話。

そして、
診療の話書こうかなと思ってブログ始めたのに、獣医と関係ない気づきや想いばっかり書いちゃってる言い訳、の巻でした。

飼い主さんの言葉 – 獣医として気をつけるべき「意図」と「意味」

獣医として、飼い主さんの言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけない

農家さん(飼い主さん)とお話しする時、こんなことを言われます。

「先生!子牛が大分具合悪いみたいなんです。」

言葉の意味は、そのまま子牛が具合悪い。ということですね。
しかし、本人が本当にそう思っているかどうかとは一致しません。

農家さんが言う、どれくらい悪いかという言葉は、
「どれくらい不安か」という意味で、
「とにかく早く来て欲しい」という意図です。
言葉には、そのままの意味だけでなく、別の意味と意図があるんです。

 

言葉はそのまま、病気の状態を示しているのではない。「意図」と「意味」を考える

別の例を出してみましょう。
電話で獣医さんが、
「昨日治療した子牛の様子はどうですか?良くなりましたか?」と聞いてみます。

すると、
「ああ。昨日よりはいいみたい。」と言われたとします。
この言葉、病気の状態とはあまり関係ないんです。

「継続して治療して欲しい」と言う意図と、
「あんまり良くなってないけど先生がっかりしないでね」という意図があります。

もしその時、
「良くなった!もう大丈夫!」と言われたなら、本当に良くなった場合は、そのままの意味です。
しかし、もうあなたにはきて欲しくない。という意図で言われている時もあるでしょう。
時に意図は、言葉の意味も変えてしまうんです。

誰でも、どんな言葉でも。
それを発する人の意図は、同時に存在しています。
そしてほとんどの場合、言葉の意味よりずっと重要です。

あ、そうそう。
動物には言語がないので、意図もありません。

ヤギは発情すると、しっぽフリフリ。スリスリ。
ウシは発情すると、「ウオー」と鳴いて誰彼構わず乗りかかろうとします。

ヒトの場合は。。。
「今晩お食事でもどうですか?」

って言います。難しいですよね。

ウシの獣医さん、ヒトの獣医さん。やりたいことが動物の為だけに偏ると、悩むことに

獣医療は、あくまでヒトの為に

僕は、獣医療はあくまでヒトの為にあると思っています。

ヒトが幸せになる為に。
ヒトが健康である為に。
ヒトの気持ちが楽になる為に。
ヒトにやさしくする為に。
ヒトのきぼうをつくる為に。

動物の身体の専門家なのです。
動物の病気の知識を使うんです。

それをどう活用するのかは、それぞれの獣医さんに委ねられています。

例えば、
小動物の獣医さんは、「飼い主さんの気持ち」を助けています。

産業動物の獣医さんは、「畜産農家さんの収入と生活と気持ち」を助けています。

公務員の獣医さんは、「国民の食生活や健康を、伝染病や悪い微生物から守る」仕事をしています。

野生動物を診る獣医さんは、「野生動物を大切だと思う人達の気持ち」を助けています。

企業の獣医さんは、「企業活動がヒトを助ける」事を助けています。

そうして自分と、他の人を幸せにしているんです。

 

やりたいことが動物の為だけに偏ると、仕事で悩んでしまう

いや、獣医になろうと思うくらいだから、
大抵の獣医さんは動物が好きなんですよ。
動物の為になる事だって考えてます。

でも、やりたい事が動物の為だけに偏ってしまうと、仕事で悩みます。

自分のやりたい事と、誰かがやって欲しい事が近づけられれば、それほど悩まず仕事出来るんですけどね。

だから僕は、ヒトを助けるのが好きな人が、獣医に向いていると思っています。

92歳のロープワーク – 仕事のやりがいになりうるのは「やってみたら嬉しかった事」

ロープの結び方を、ニュースレターとして発行していたときの出来事

僕ね、毎月ニュースレターのようなものを顧客向けに発行してるんです。

今回は、ロープの結び方。

獣医学と直接関係ないし、実を言うとちょっと手を抜いたくらいの内容です。

 

92歳のおばあちゃんが、新しいことに挑戦してくれた

で、今日行った農家さんで、

「ちょっと見て。これ教えてもらったから結んでみたの。これで合ってる?」と。

牛がもやい結びで繋いであるんです。

「え!本当に?あってる。ちゃんと出来てますよ!」

「これね、今まで知らなかったんだけど、夜ロープを部屋に持って来て練習したのよ。」

「すごい!あれ、たいらさん、失礼ですがおいくつでしたっけ?」

僕ね、その情報紙出す時、いつもそこまで期待してないんです。まぁ何かの役に立てばいいかなって。

今回はあまりに驚いて立ち尽くしました。
だって92歳のおばあちゃん。
普通は会話もままならない。

いつもなら、
「何したらいい?うん。じゃーそれやっとくね〜」で終わりです。

説明や提案なんて、最初から求められてないし、こっちの話なんかほぼ聞いてないので、だいたい言われたとおりやる。
そういうものだと思ってました。

誰でも新しい事に挑戦するのは力が要るんです。それが、ただ紙一枚郵送しただけで、その内容を読み、自分でやってみて出来るようになる方がいる。
それがまさか。僕の偏見ももちろんありますが、こんなに年配の方が。

ほんとに嬉しかったです。
涙が出そうでした。

 

仕事において大切なのは「やりたい事」じゃなくて、「やってみたら嬉しかった事」なのかもしれない

「誰かが何かを出来るようになる。」という事は、自分にとって本当に嬉しい事だったんだなと分かりました。

仕事において大切なのは「やりたい事」じゃなくて、「やってみたら嬉しかった事」なのかもしれません。

動物に対してイラつく時は、自分自身が原因

「お前!言うこと聞け!」と動物に腹がたつときは、自分自身が原因

たまーになんですけど、動物に腹を立ててしまう時があります。

お前!言うこと聞け!と。

でもね。相手は動物ですから、この場合の怒りは、完全に自分が原因なわけです。

僕の中にイラつきや怒りが出てくるのは何故でしょうか。

 

動物に対して、「思い通りになれ」と理不尽な期待を押し付けている

「おい!治してやるって言ってんだろ!バカ!おとなしくしろ!」

そういう時。怒りが出てくる時。何故腹が立つのか。
それは相手の為ではなく、他でもない自分の為の行動だからじゃないかなと思います。
そいつは僕の為には動いてくれない。
動物に対して、思い通りになれと理不尽に期待してる時です。

ほら、俺はやさしいだろ。すごいだろ。感謝しろよ。という気持ちが欲しいだけ。
治してやるという満足感を押し付けてる時。完全に自己中な時です。

 

動物の相手を変えて、距離感をはかってみる

その腹立たしいアイツがもし、犬じゃなくて、牛だったら?

いや、ハムスターだったら?
いやいや、カブトムシだったら?
バクテリアだったら?

どの段階から、腹立たなくなりますか。
そこが相手に期待しないでいられる距離。相手の都合を優先できる距離。自然に相手を受け入れられる距離感なんでしょう。

え?全部いける?

じゃあ犬じゃなくて、サルだったら?
ヒトだったら?外国人だったら?
アイドルだったら?同僚だったら?
友達だったら?恋人だったら?
配偶者だったら?親だったら?

「あなたの為を思って言ってるのに!」
「あなたが喜ぶと思ってやってるのに!」
「俺の酒が飲めねえのか!」
「俺様はやさしいだろ!嬉しいって言え!!」

……。すみません。取り乱しました。

 

動物はただ、怖がっているだけ、嫌だと思っているだけ

その動物が、どんなに自分に懐かなくても、どんなに暴れて処置を嫌がっても。
その動物はただ、怖がっているだけ、嫌だと思っているだけです。

僕は相手が僕に近いほど、相手を受け入れられなくなる。

遠くの人の幸せを願うのは簡単でも、近い人には腹を立ててしまう。相手都合が分からなくなるみたいです。

「しょうがないよね。箸が使えないのは。だって犬だもん。」と思えなくなる。

いかんいかん。きみは犬なんだから、言ってもしょうがないね。きみには分からないんですよね。そんな事望んでませんよね。

「んー、どうする?きみ、そのままだと死んじゃうよ?」

そいつはそれでも、怖いのだ。生きたいとかは二の次なのだ。
当たり前だが、僕のエゴなどどうでもいいのだ。やさしいって言われたい気持ちなど、ひとから好かれたい気持ちなど、やさしくされたい気持ちなど。

「でも、しょうがないよね。それもきみの人生だし。とにかく怖いんだよね。わかったよ。
まー早く終わらして痛みだけでも取ってやるか。多分すこしは楽になるはずだよ。。。

あ!咬んだな!
こんなにお前の事思っているのに!( *`ω´)」

つたえること、つたわること。読み取る力・受け取る力を伸ばしていこう

「伝える」という行為は、ある意味エゴイスティック

ひとは、自分と同じじゃありません。
やってほしい事は、基本的に伝わりません。
ひとを思い通りに動かそうなんて、なおさらです。

伝えるのは、とても難しい。
伝えようとする事は、ある意味エゴイスティックな行為だからかなと思います。

そもそも伝える必要があるのは、自分の為である事が多いんじゃないでしょうか。
伝えたいひとはたくさんいても、思ってもない事を伝えられたいひとはあんまり居ませんしね。 

そういうわけで、伝えようと必死に努力しても、受け取る側が目を閉じていたら完全に無理です。伝えるテレパシーはないのです。

 

受け取る側には、見ていれば分かることが無数にある。獣医としても。

でもね、
受け取る側には、テレパシーみたいなものがあります。
見てれば分かる事が、無数にあるんです。
会った瞬間に、この人の嬉しさ、悲しさ、怒り、苦しみ。
このくらいは、誰でもすぐ分かるでしょう。

さらに少し話したら、今気になっている事なんかが分かる。

メンタリストダイゴさんが、ヘソをこちらに向けて話してくれないひとは、自分に好意がないと言ってました。細かな説明しても仕方ないのでしませんが、そういうのは大抵合ってますよね。

受け取る力は、もともと誰にもある力です。
ですから望めばすぐ、すごく簡単に身につくんです。

 

獣医さんが診察する時、 今の動物の状態、飼い主さんの状態、今までどんな風に飼われてたのか。どんな風に動物と向き合ってるのか。
それくらいは、会って2つくらい質問するとすぐにわかるんですよ。

あ、この話は今度書きましょうね。

 

受け取る力を、伸ばしていこう

とりあえず、僕は今日も受け取る力を伸ばしていくことにします。

そしたらその人から、受け取る力を自分に向けてもらえる日が来るかもしれません。

自分の気持ちを受け取ってもらえる時が来るかもしれませんから。そう。つたわる時が来るかもしれません。

 

ところで、「顔に書いてある」とはよく言ったもので。隠そうとする事は、大抵うまくいきません。伝わらないように気をつけていても、受け取る側がみるとこ見たら、バレちゃいます。 

今日も僕のズルい心がバレませんように。
頑張っていきましょう。