Category Archives: 病院運営・独立開業に関すること

仕事に向き合う姿勢。獣医師以外の方から学ぶこと

独立するつもりだったと言う、一人の運転手

元旦、会合の帰り、運転代行さんを利用させてもらった。

10社ほど電話したがどこもお休みで繋がらない中、1社だけ、電話対応も爽やかで、なんの屈託もなく仕事を受けてくれた。

30前後、短髪、まだピアスの跡が残る目尻の鋭い好男子だった。

みんな休みたいところ、快く仕事を受けてもらって、本当にありがとうございます。と感謝の気持ちを伝えるとともに、なぜそんな風に働けるのかを聞いてみた。

「自分、勤務歴は7年あって、本当は独立するつもりだったんですけど、2年前に全て任せてもらえて、今は自分で営業してるようなもんなんですよ。
自分で相方探して、自分で広告して、看板借りて営業してるんです。
やっぱり任されるとやる気が違いますよね。

昼間は介護の仕事してて、夜20時から3時までは代行の仕事してるんです。もう酒飲まないって決めて、覚悟は要りましたけどね。

家族もありますから、休んで酒飲んでグダグダするよりは代行やってた方が全然いいなって思って。
その方がお客さんのためにもなるし、金にもなるし、飲酒運転も減るしって思うんですよ。

だから今日も酒飲まずに、きっと誰か頼んでくれると思うから、電話来たら行こうと待ってたんですよ。」

僕は酔っているにもかかわらず、背筋が伸びる思いだった。
僕はこんなふうに働けていただろうか。

 

誇りをもち、「いつでもやります」というまっすぐな姿勢

仕事に対して誇りを持って、電話が来たらいつでもやりますと言うまっすぐな姿勢。

お酒に酔った人がお客さんなのだから、やはり苦労も多いのではないかと思ってしまうが、この人の言葉には迷いがなく、曇ったところが全く感じられない。

自分の仕事で飲酒運転が減るんだと、お客さんの困ったことを助けることができるんだと。
そして、昼の仕事が終わり、時間が余ったらいくらでも仕事をして、自分が家族を養っていけることに、誇りを持っている。

こんなふうに、迷いなく快活に仕事に臨んでいる人に、今までどれほど出会っただろうか。

この代行の店長さんと話して、

ただ、困ってる人を助ける。
頑張って稼いで家族を助ける。
そのひとつひとつが、飲酒運転を減らすという社会の役に立っている。

そういうシンプルな理解で、気持ちよく働いている事に感動した。

 

ひとつひとつの仕事に、素直に向き合う

僕は顧客の依頼にこんな風に対応できていただろうか。
時間外の依頼や、手遅れの依頼、治療に協力的でない事、そういう時、やはりイライラしたり、優しくできなかったりしてしまっている。
自分の大変さや、権利欲、技術欲、時間ばかり気にしてしまっている事を反省した。

改めて、僕も独りよがりな欲求は側に置いて、素直に仕事に向き合わなければいけないと思った。

仕事で困っている人を助ける。
頑張って金を稼いで、大切な人を助ける。
このひとつひとつの仕事が、薬物の乱用を防いでいる。
この1頭を治す事で、食料資源が増えて社会が豊かになる。

改めて今日から、そういう風に素直に仕事に向き合います。
頑張りましょう。
今年もよろしくお願いします。

つづく: なぜ獣医の仕事が「つらい」と感じるようになってしまうのか?

社長は、世界を作れる人。動物病院から、獣医療の新しい「世界」を作っていく

畜産に携わる人のためにと、「自分ごと」としてシステムを語る開発者の方

昨日、薬品会社の営業さんを通じて、とあるシステムを販売している会社と会合があった。

そのシステムは、センサーで牛の動きを感じ取って、行動の記録データを、畜産の生産性向上に利用するものだった。

このシステムの販売会社と開発会社は別会社で、開発側と販売側ひとりずつが席に着いた。

はじめ開発者の方は、いわば外注先のような立場なのだと思っていたが、「私たちが始めた頃は… 」と、このシステムに関する話を完全なる自分ごととして語る。その姿が印象的だったので、僕は聞きました。

「このシステムを着想して始めたのは、○○さんだったんですか?」と。

予想に反して「いや社長は別にいます。」と、彼は言いました。

さらに「社長はどんな人なんですか?」

と聞くと、「社長は、コンセプトを作るのがとても上手な人なんですよ。その社長は前職で、畜産関係の営業をしていました。そこで、いけると思った事業を組み立てるために、必要なパーツを揃えていった。彼の描く世界を実現するために、技術者が必要であり、営業が必要であり、出資者が必要であり、研究者が必要であったんです。

そういうのを組み立てる才能のある人です。社長はパーツを一つ一つ集めて、彼の描いた世界を作っているんです。」

そして続けて言います。

「そしてこのシステムを使ったら、畜産は絶対に良くなるに決まっています。

作りたい世界はみなさんと一緒ですよ。畜産に携わる人が、手間なく成績を上げ、家族との時間を大切にすることが出来るようになる。そういう世界を作ろうとしているんです。」

この言葉には本当に驚いて、目が覚めた。

 

社長とは、世界を作れるひとのこと。ビジョンに人がついてくる

彼の目の前には明らかに、そういう世界が鮮やかに見えている。この会社が目指す世界。世界はこうだという事が、そこで働く人の目の前にありありと見えている。

そしてその世界観の鮮明さで、そこに僕らをも引き込もうとしている。

自然にこんな風になる過程は、どんな道のりだったのだろう。

そう考えているうちに気がついた。

社長とは、世界を作れる人の事だったんだ。

現状の世界に住みながら、次の理想世界を自ら創造し、それを語り、景色を人に見せる。そのために必要なことを整理しその世界に向かっていく手段を実行する。その描いた世界を固く信じることができればこそ大胆な行動もでき、結果も出せる。それが社長であり、事業である。

もしその世界が、個人1人だけが得する世界であれば、そこに向かっていく人に協力する気にはならない。それなら好きにやってくださいと言う事になる。

そうではなくて、もし社長の描くその世界が、聞く人も住みたい世界であれば、自然に協力する気にもなるだろう。そしてその中で自分が豊かに暮らせるのであれば、当然一緒に働きたいと思えるだろう。

今まで僕は、自分の持っているものが誰のどんな役に立つだろうか。と考える事はあったが、僕が新たな世界を創造しそこに連れて行く。と言う視点はまだなかった。口では顧客の為にとか、みんなが良くなるためにとか言っても、現在見えている世界の中で、どう上手くやるかという視点で動いていたのだ。

結局一番関心のある事は、そこで自分が売れるかどうか。自分が他と比べて優れているかどうか。そんな事にしか興味がなく、自分側からしか物事を見れていなかったのだ。相手視点を持とうと努力してはいても、表面的な、対処的なものになっていた。

だから、自分がこれをやって、本当に大丈夫だろうか。誰も賛同してくれなかったらどうしようか。仮に借金をして、その借金だけが残ったりした場合はどうだろうか。などと不安になったりもしたし、確信も持てなかった。

そういう不安は、今のコンセプトは結局自分よがりである事に、無意識下で気づいていたからだと思う。だからこれまでの僕には、なかなか人が集まらなかったのだ。世界観が曖昧だったからだ。

そこに気がついた事で、僕は1つ次のステップに進めた気がした。

 

開業して6年。動物病院から、獣医療の新しい「世界」を作っていく

僕の創造する世界が自分にも、相手にも良いものだと確信があって、その世界を共有できたなら、あとは実行するのみである。自然に協力者も集まるだろう。

ひとつ気がついたものの、まだ完全な世界観を創造できたわけでは当然ない。加えて他者視点より自己視点の方がまだまだ強い。

いきなり完璧にはならなくとも、これからは少なくとも、誰かより優れていて賞賛される「自分」を作るのではなく、自分が住みたい「世界」を作ろうと思う。

これからの僕が作る動物病院は、どんな世界を創れるんだろうか。これからの僕は、どんな獣医療を創れるんだろうか。

開業して6年、今さらながら、世界を創造するスタートに立ったのかもしれない。

決める痛みと、生まれる希望。臨床獣医の仕事で大切かつ難しい「相手の気持ちを汲む」ということ

 

臨床獣医師として、常に直面する共通テーマ

前回の山羊腰麻痺疑いの記事、山羊の診療Diary  症例16 腰麻痺疑い ~治療をしないという選択~ について、院長の私からも書きたいと思います。

アン先生のまとめが素晴らしいので、読んでない方はぜひどうぞ。

臨床獣医師として常に直面する、共通のテーマなので、僕も書かせてもらいたいと思います。

アン先生の言うように、獣医師は「飼い主の選択に寄り添う」事をしています。そして、「動物との関係は人それぞれ」なんです。

  • 伴侶としてともに生きる人、盲導犬などと助け合って生きる人
  • 動物は好きではないけど、家族の動物をお世話している人
  • 家畜として飼い、動物をお世話する事で、生活資金を得る人
  • 家畜から生活資金を得る一方、飼育自体が生き甲斐であり、ライフワークである人

それぞれの人に事情があり、動物や、その関係に問題が起こることがあります。

 

VETの獣医療サービスが目指すところは、「きぼうをつくる」ということ。治療はひとつの手段に過ぎない

私たちの獣医療サービスが目指すところは、

「きぼうをつくる」です。

飼い主さんが希望を持つには、これからどうするか、自ら選択する事が必要なんだと思います。

そのためにまず目の前にある問題に対処し、飼い主さんが選択できる様な情報を提供します。

治すのはひとつの手段に過ぎないのです。

例えば今回の腰麻痺のヤギのように、交配する目的で飼っている動物が立てない時。

死にはしないけど、立って交配出来る確率は50パーセントか、もう少し低いかも。反面、治療開始したら約2ヶ月は出荷できないので飼育労働費と経費がかかる。

飼い主はもちろん治って欲しいんです。一生懸命お世話してきたんですから。

でもね、このオスヤギが交配できないなら、この飼い主さんにとっては一緒に居る理由がないのです。

諦めるのは心痛が伴います。一方で治療するのは損失も、不安も伴います。

どうしていいか決められないので、獣医が呼ばれているんですね。

 

獣医師には、「飼い主の選択に寄り添う」という役割もある

獣医は治療するだけじゃなく、あるいは科学者のように研究成果をあげたり、真理を追求するだけじゃないんです。

獣医はこの飼い主さんがヤギに求める関係性を汲んで、気持ちを汲んで、動物の状態を診断して、それから手段を提示します。経験や知識、技術を総動員してわかる事を整理して、先行きを示します。

そして飼い主さんの言葉にならない想いを生かす、本当の気持ちを生かす選択をしてもらうのです。

そういう事が「飼い主の選択に寄り添う」なんです。

選ぶ時には痛みが伴っても、次への希望を持てる結論を出せること。これからも悔いなく頑張れること。

それが臨床で行う獣医療のゴールなんです。

ある現実が、その人にとって苦しすぎて、どうしても選択できない時もあるでしょう。そういう時は、その人がそれを受け入れるまで、全力で治療し続けます。飼い主が諦めないなら、一緒に諦めず頑張ります。

でも、本当は諦めた方が楽なのがわかってても言い出せない…。みたいな場合もあるので、そういう時は別の方向性を提示してみます。それでも飼い主が決められないなら、決めないまま一緒に結果を見てあげます。

そういう事も「飼い主の選択に寄り添う」なんです。

決めないという選択でさえ、納得して次に進むためにはとにかく自分で選ぶ事が大切だと思うからです。

 

臨床獣医の仕事で大切・難しいことは、「相手の気持ちを汲む」こと

「治る病気」を治すのなんか、簡単なんですよ。そんなのは、真面目に勉強してたくさん症例にあたって、ちゃんと治療してたらできるんです。

臨床獣医の仕事でもっと大切で難しいのは、むしろ相手の気持ちを汲む事です。いろんな人が命に向き合う時の苦悩なんかを一旦預かって整理して、その人がそれを受け入れられるような、前向きになれるような形で返してあげる事です。

そうして、その人が悲しんだり苦しんだりした後にも、また頑張ろうって思ってもらえることが、治す事よりずっと大切な成果なんです。

ね、共に臨床で頑張ってる獣医の先生方。

そう思いませんか?

獣医の仕事も、わかってあげるとうまくいく

獣医の仕事においても、「わかってあげること、わかってもらえること」は大切

本当に自分が心を動いたことを、わかってもらえると、満たされた気持ちになります。

例えば、獣医の仕事内でいうと
血糖値曲線を作成するときの面倒くささ
大型犬をレントゲンの台に乗せるときの苦しさ
分からない病気に向かい合う不安

敢えてわかりにくい状況を挙げましたけど、
そういう時には心が動きます。

別に、手伝って欲しいわけじゃないんです。
ただ、そこんところの心の動きを、わかって欲しいだけなんです。
はっきりいって、これがどういうことなのかわかってくれる人に普段はほとんど出会わないんですけど、たまにいると嬉しいんですよね。

他にも、仕事についてだけじゃなくて、
何かを達成した時の充実感
叱られる悔しさ
とかでもいい。

なんでもいいんですけど、特定の状況で、喜びや悲しみ、不安や興奮、それらが混ざった複雑な気持ちなんかのことです。

そういうのを、わかってもらえる事。
たったそれだけの事が、毎日の生活で本当に重要な力を持っています。
わかってもらう事はほとんどの人にとってってかなり重要なんだと思います。
僕は自分にとって簡単な事ほど、わかってもらえないとすごく悲しいです。
期待していないような難しい事ほど、わかってもらえるとすごく嬉しいです。

仕事においてもそうなんです。
お客さん、患者さんも人ですから。

 

獣医の仕事をする時は、飼い主さんがどこに心を動かすのか意識的に感じてみる

だから獣医の仕事をする時は、飼い主さんがどこに心を動かすのか、意識的に感じてみないといけません。

そこで一度は動物を飼ったり手伝いをしてみると、いろんなことが分かるので、仕事にすごく役立ちます。

牛農家さんなら例えば、
牛舎を清潔に保とうと思っていても、すぐに汚れしまう事。
牛の糞便を処分する時は、まずレーキで引っ張って集めて、一輪車に乗せて、堆肥場まで運ぶ。その時、あと少しでいいから近かったからいいなと思う。
で、ちょっとサボると量が増えて、重さで肩や腰が痛くなる。予想より遥かに時間がかかってしまって苦しい。
毎日見てても発情がわからず苦しい。
とか。

犬猫の飼い主さんなら例えば、
子犬が初めて家に来た時に、呼び鳴きが続く苦しさ。
毎日ちゃんとごはんを食べてる姿を見る幸せな気持ち。
とか。

獣医技術に優れて、本当に治せる事はもちろん重要です。
でもそれと同じくらい、
どんな時にその人が心を動かすのかをわかってあげる事が重要なんです。
それはいつでも、その人の心を満たすプレゼントになります。
そしてそこにきちんと意識が向いてないと、結局治療もうまくいきません。

つまり、
この人はどこが苦しいのかな?
この人は何が嬉しいのかな?
という事に意識が向いていないと、
飼い主さんが困ってるのは、「動物が病気である事」よりも「経営不振」である事とか。「病気を治す事」よりも「治らなくていいから痒みを取って欲しい」とかだったりするんですけど、
そういう事を勘違いしてしまうんです。

すると病気を治すために最善を尽くして医療費がかさんだり、根治を目指してかゆみ止めを使わない治療をしたりします。

結局どちらも飼い主さんを苦しめてしまう結果になります。

そうなったら、せっかくの自分の努力が報われません。喜んでもらえず、後味悪いです。

難しい事をわかってもらうと嬉しいですよね。
簡単な事をわかってもらえないと悲しいですよね。
だから、わかってあげましょう。
わかってあげる「だけ」でいいんです。

そしたらけっこう、いろんな事がうまく行くと信じています。

 

本記事に関連して、「飼い主の選択に寄り添う」ということついて、書いています。

決める痛みと、生まれる希望。臨床獣医の仕事で大切かつ難しい「相手の気持ちを汲む」ということ

臨床獣医師が直面する共通テーマとして治療を継続するかどうか、飼い主さんに選択をしてもらう、ということがあります。

その難しい問題に対して、私たちの考えを書いています。ぜひご覧になってくださいね。

獣医師は、なんでもやっていい仕事

獣医は「動物と関わる人を助ける」のが仕事。正解は自由

獣医さんはね。
「動物と関わる人を助ける」のが仕事です。

動物と人との関わり方は様々です。
動物に対する感情も人それぞれです。

仲間や兄弟、友達だと思うひともいるでしょう。
迷惑な存在だと思うひともいます。
興味深いと思うひとも、嫌いな人もいるでしょう。
お肉として見る人もいれば、神として崇める人もいます。

どれも正解です。
というより、誰がどう思おうが自由です。

 

「産業動物獣医」の仕事は、「食べものとしての動物と関わる人を助ける」のが仕事

「産業動物獣医」の仕事は、「食べものとしての動物と関わる人を助ける」のが仕事なんです。

具体的にはその動物をうまく飼うこと。
健康な牛や豚やヤギなどを、少ない人数で飼えるようにする事や、たくさんの動物が病気にならないように、うまく病気を防ぐ対策をする事です。
またはその動物がお肉になって人の口に入るので、人の健康に危険が及ばないようにすること。
をします。

お肉を食べものと考える人達は、けっこう多数派ですから、この仕事は人の生活や食を健全に保つ上でけっこう重要な仕事とされています。

僕は食べものをつくる仕事をしようと思って獣医になりました。
でも、高校生の僕はちょっと間違えてましたね。つくってるのは畜産家で、獣医はその人たちを助けています。

今の仕事の中では、科学や畜産技術の追求はもちろん大切なんですが、思ったより「気持ちを助ける」のが大きな割合を占めているなと感じています。

まー自分で肉を作ってもいいんですが、
そこに心血注ぐより、熱い畜産家の方が喜ぶのがなんか楽しいので、それで良かったなと思っています。

 

獣医師は、動物と人間のかかわりならなんでもやっていい広がりのある職業

僕はかつて、犬猫の獣医も、公務員もやってみました。
そうしているうちに、いろんな人の動物に対する考え方や関わり方がある事を知りました。

だから最近は、
「動物と人間のかかわりならなんでもやっていい職業」なんだと思っています。
そう考えると、けっこういろいろ出来そうです。

せっかく会社もある、仲間もいるし、
次は何しようかなーと考えています。
誰を喜ばせようかなーって事です。

獣医って、そういう広がりがある職業です。
資格が必須ではありません。
会社って、そういうところです。
何をしたらおもしろいか、一緒に考えていきましょう。

仕事が苦しい獣医師のひと、独立開業して頑張る人へ

仕事、やりたくないなーとなったとき

仕事にいつでも行けるのは、
心を凍らすのに慣れた人。

仕事、やりたくないなー
となったとき。

心凍らせて、そんな気持ちは無視する習慣。
大人になるほど、そうなってくる。

するとね、ほかの誰かが心折れて、休んだり辞めたりした時に、
無視された心が怒りとなって溢れてくる。

そんな事も出来ないなんて。
なんてわがままなんだ。
人としてどうなんだ!
社会人として!
みんな頑張ってるのに!

…。

心の一部だけを凍らす事は、多分けっこう難しい。
苦しみに蓋をすると、喜びや感動も一緒に出てこなくなる。
それはさびしい。

僕は、どっちも大切にして欲しい。
どっちもわかる。いい歳なんで。

こんな時、どうしたらいい?
と悩んで考えてみた。

その人に、自分の心に正直になってほしい。
それは、僕と同じになって欲しい、僕の生き方を肯定してほしい事の裏返し。

みんなの為に、少しだけ我慢してくれてもいいんじゃない?
これは、自分の為に、都合よく動いてもらいたい。という事。

なーんだ。どちらも利己的な話じゃないか。

じゃあどうする?

 

最大限利己的に動く、自分の判断で動くこと。それがみんなのためになり、自分のためにもなる

ここで、
「自分のわがままは、そのまま相手の利己的な行動を肯定する事になる。」と気づいた。
と同時に
「利他を強要する事は利己的であり、利他を強要された人たちの怒り」なんだ。

だから、利他の強要に怯えて、利己を抑える事はない。
みんなの為、という美徳に歪められてはいけない。美徳で縛り合う連鎖から、逃れなければいけない。

これを一気に逆回転させてみよう。

まず最大限利己的に動く。
そして利他を強要された人たちの、利己的行動を肯定してやる。
そうすればきっと、自らの利己的な気持ちを肯定された人たちだけは、こちらを肯定してくれる。
その時もし目的が同じ方向だったら。
いずれお互いに同化し、結果としての協力が生まれる。

という流れを作ろう。目的が同じ方向である事を信じて動くしかないよね。

だから、
最大限利己的に動く事。
もちろん他者の利を妨害する事は除く。
利己を意識した人助けは全く問題ないが、利他を意識した人助けは控えるか、禁止でもいい。

利己的でいいんだから、悩むことはない。
利己的なんだから、他者が同意しなくても当たり前。
そしたらひとに期待する事がなくなるはず。
期待しなければ、怒りもなくなる。

妨害されたら戦うか、それも面倒なら離れる。

そう。
社会的な判断じゃなく、自分の判断で動くこと。
つまり助けたいなら助ける。助けたくないなら助けない。
それが、みんなの為であり、自分の為になる。

 

自分の行動を、自分基準で決めてみる。「私は」の必要性

だからね。。。。

仕事選ぶときも、仕事で悩んだ時も。
仕事じゃなくても、毎日なにかを決めるとき。

自分の行動を、自分基準で決めてみてください。
自分は今、自分の判断でこれをやる。なぜなら、

私は、
技術を得て独立したいから。
お金を稼ぎたいから。
海外旅行に行きたいから。
大切な人を守りたいから。
治ったら嬉しいから。
喜ばれると嬉しいから。
褒められると嬉しいから。
ここに居たいから。
この場所が好きだから。
キレイなものがみたいから。
安全な場所に居たいから。
心穏やかに居たいから。
ひとに注目されたいから。
愛されたいから。
そうじゃないといけないんです。

必ず「私は」じゃないといけない。
「私だけは」と言い換えてもいい。

そうすると自然に相手の中にある「私は」にも気が付きます。
「あなたは〜するべき」から離れて、
あなたはどう感じる?
あなたは何を望む?
あなたはやりたい?やりたくない?
が見えてくるんだと思います。

そうやって、お互いの「私は」を見せ合って、違う方向なら、グッドラック!と言って別の道を歩きましょう。
ちょっと寂しいかもしれませんが、別に悲しい事ではありません。それはお互いを大切にする事です。

そうやって、お互いの「私は」を受け取って、もし同じ方向だったなら。。。
その時は、一緒に働きましょう。
喜んで協力できるはずです。
すごく力が合わさるはずです。
それが途中まででも、一緒に行ければいいんです。
きっといい仕事できるんじゃないかな。

獣医のみんなが、居たい場所をつくる

毎日仕事してれば、苦しい事もあります。
その時不満や愚痴を言うと、聞いてもらえるだけでスッキリします。もし慰めの言葉をもらえたら嬉しいです。
でもね、聞かされた相手はいくらか消耗するんです。

楽しい気分の人と一緒にいると、人は楽しくなります。そういう人は楽しい気分を周りに与えているんです。
きっとそのうち周りが幸せな人ばかりになります。

僕は楽しい気分を与える人になりたいんです。
その方が間違いなく楽しいと思うからです。

…ちょっとかっこつけた感じになりましたね。本当は周りの人に、僕をしあわせにしてもらいたいだけなんです。

だからね。
苦しい時でも最初だけは、ちょっと無理して愚痴を我慢します。まるで楽しい人かのように振る舞います。
でも頑張り続けるのは辛いので、10個楽しく過ごしたら、1個だけ愚痴を漏らしていい事にします。

そうすると多分。
そのうち周りが楽しい人ばかりになるはずです。
さらにその人逹に影響されて、自分が楽しい気分にしてもらえます。
そしたらそのうち、もっと楽しい人が増えるはずです。

僕はそういう中に居たいので、
そういう会社にしたいんです。

苦しい事があるのは、承知です。
さて、楽しく診療行きますか。
(=゚ω゚)ノ

事始めのエール。獣医師キャリアの選びかた

新しい仕事・獣医キャリアの選びかた

新しい事を始めるとき、特に仕事についてですけど、

やりたい事をやるんだ!
自分のやりたい事って何?
って悩みますよね。

安定だから公務員がいいとか。
動物が好きだから獣医がいいとか。
几帳面だから事務系がいいとか。

それはそれで大切な事なんですけどね。

「やりたい事」って切り口で探すのは、多分かなり難しいです。
「事」って、そもそもやりたいなんて思わないから。
僕だって「注射する事」が大好きなわけじゃないです。

誰でも本当に求めているのは、
「どう感じるか」なんです。
「やりたい事」が先にあるんじゃなくて、
「嬉しくなる事」をやりたくなるんですよ。

嬉しい、悲しい、腹が立つ。
そういうものしか、自分を元気付けないし、
やる前から好きか嫌いかなんて誰にもわからないんです。

何かをやってくうちに、自分が嬉しかった事、楽しいと感じた事、嫌だなと感じた事。
そういう事に出会うんです。
やらないと出会えないんです。
ただ頭で考えてても、感じることができません。

だから実際、職種なんてどうでもいい。
とりあえずやってみればいい。

そこで出会ったらチャンスです。
自分が何に喜ぶんだろう。何に悲しむんだろう。
何に怒るんだろう。それに気がつく機会です。

 

目の前の仕事に取り組むなかで、自分の獣医としての価値観を見つけていく

若いひとたちは、そういう事を感じるために、とりあえず目の前のことに取り組むといいと思います。

迷ってる時間は、ちょっと厳しく言えば、
ほぼ無駄なんです。

嫌な事があってもいいじゃないですか。
「あ、それ、嫌だったんだ」と気付けるんだから。
それが仕事や友達を変えるとか、嫌な事が起こらないために何をするかとか、考えるきっかけになるんだから。
そしてまた次の行動が、新しい経験をくれます。

それを繰り返していくうちに、自分が何に喜ぶのか、見つけていけばいいんですよ。

僕は、僕たちの会社の仕事を揃えます。
事業を行う気持ちを規定します。
社員の仕事中はそれに従ってやってもらいます。それは仕方ない事なんです。

本当はみんな、人それぞれ。
大切にしている事が違うのは分かってます。

価値観を押し付けられる事は当然、社員にとっては痛い時も苦しい時もあるんです。
でもそこで気づいてください。
自分はなんでこれが痛いのかなと。
自分はこれ、好きじゃないんだなと。

そうしているうちに、
92歳のロープワーク – 仕事のやりがいになりうるのは「やってみたら嬉しかった事」 に書いた僕みたいに、
びっくりするくらい嬉しい時もあります。

そんな時わかります。
自分はこういうのが嬉しいんだって。

仕事中、嬉しいことが、辛い事より多かったら、その仕事を続けてください。
そうでないなら、やりながら何が辛いのか、何が嬉しいのかよく自分を見つめてから、行動するといいと思います。

その仕事が辛すぎるなら、きっといい仕事はできないでしょう。
楽しんで働ける職場じゃないと、職員は輝きません。

もし僕たちと一緒に働いて楽しかったら、それはとても幸せです。
でも、どうしても辛かったら、それにちゃんと気づいて、本当に輝ける職場に移れるといいなと思います。

仕事は人生において重要な場合もありますが、重要とするかどうかは自分で決めること。

辞めたところで大した事はありません。

大切なのは、自分がどう感じるかです。

若い獣医さんへ。診療現場に「問い」と「答え」はない

診療現場には、「問い」と「答え」はない

はじめたばかりの獣医さんに必ず教える事があって、診療の基本的な考え方を書いてみます。

治療方針を決めるとき、誰でも最初は迷うと思うんです。決めるのが、苦しいと思うんです。私なんかが決めちゃっていいのかな。とか思うんです。

治療って、試験に出るような「問い」と「答え」があって、マルかバツかが決まってて、それでバツがついたら死ぬ。みたいな、そういう事をしてるわけじゃないんですよ。

そういう風に考えたら、そりゃ怖いですよね。
決断できなくなって、いつになったら私はまともな獣医になれるんだろう。と思ってしまいます。

診療するときって、最初の頃は「答え」を探しちゃう。この病気なら、この薬。この治療。このスケジュール。

定型化するのはすごく大切なんだけど、それだと知らない病気に当たったら頭真っ白になっちゃうんです。

誰だって、いきなりなんでも知ってるスーパー獣医にはなれないんだから。

治療ってそういうもんじゃなくて、
最初は病名も答えもない。

ただ、飼い主がやってほしい事と、動物の状態だけがある。

熱があるから、感染か、炎症かな。
便は正常だから消化器はまぁ大丈夫か。
呼吸と心拍早いから貧血か、熱を下げようとしてるのか、または酸素消費が増えてるのか、できないのか。

そんな感じで、からだの恒常性を軸にチェックしていく。
それで、その傾いた恒常性を戻していくように、処置や検査や薬を選択していく。

全部をいきなり正常に持っていくような答えを探してるんじゃなく、どっちかと言えば、こっちやった方が要望に近づくよねという風に。
寒いんだったらあっためた方がいいよね。みたいなね。

それと、生体は基本的に治ろうとする。バランスをもとに戻そうとしている。黙ってたら自分で治ろうとしてるんです。

「牛の力を信じなさい」と、授精師であり牛飼いのゆうきさんは言います。

この方は獣医じゃないけど動物に対する接し方、考え方は的を得ていて、まさにそういう事なんです。

 

獣医診療の仕事は、動物に「添え木」をしてあげること

だから治療って、
ちょっと傾いた木につっかえ棒を付けたり、風が強くて折れそうだったら塀を作ったり、添え木をしたりする事なんです。

すると、そのうち自分でバランスとって、また自分で伸びて行けるようになってくる。

とりあえず塀たてたり、紐で補強してる間に教科書や論文で調べて、幹を強くする栄養剤を見つけて買ってくる。
それで、効果が出てきたらもうこの塀壊してもいいかな。

みたいな事をしてるんです。

誰かが平均台から落ちそうになってグラグラしてる時、横からちょっとだけ手を貸してやる感じ。

するとね。
ふう。あぶねー。。。
治ったわー。
ってなるんです。

向こうに倒れそうならこっちに引っ張る。
こっちに倒れそうなら押してやる。

向こうかこっちか分からないときは、まー分からないので適当にどっちか押してみる。
余計に傾いたら、あ、違ったのねと引っ張り戻す。
そういうのを治療的診断といいます。

違ったら戻すつもりだし、そういう時もいつも決断に苦しむわけじゃないのです。

ベテランの獣医さんはそうやって治療しているんです。それを側から見てると、100発90中くらいに見えるんです。

 

手持ちのカードの中で最善を尽くせばいい。獣医学は学問から、道具にできる

仮に病名がつかなくても、今の手持ちのカードの中で最善のものを使えばいい。
それらのカードは大学と国家試験を通ってる時点でちゃんと持ってるから大丈夫です。どれを使っても、なんらかの結果が出る。

難しい試験問題のように、完全に分からない中で一発を狙うような事はあんまりないんですよ。

牛の力を信じて、ちょっと手を貸してやる事です。
疲れてたら休ませる。
寒かったら温める。
血は止めてやる。
傷口は洗って閉じてやる。

治療ってそういう事です。
普通にやさしく考えたら分かります。

初学の優秀な獣医さん
教育と現場の間で心折れずに、
ちょっとだけ視点を上げてみてください。
その瞬間から、獣医学は学問から道具になります。
今まで努力して得た道具の使い方を覚えましょう。
すぐに自信に満ち活躍する日が来ますから。

「きぼうをつくる」。私たちが考える獣医の役割

獣医の役割ってなんでしょうね。
仕事してるとよく、「安心した〜」と言ってもらえます。「ありがとう」とも。
役に立ってるようなので素直に嬉しいことです。

僕たちの仕事で顧客の心が大きく動いてる時は、不安から安心に変わった時みたいです。
不安で息も止まりそうな飼い主を横目に手術を無事終えた時はなかなか良いです。
「ハイなおったよ〜。良かったねー。」
と言えますからね。

でも、僕がもっと好きな気持ちはワクワクなんです。ワクワクして動いてるひと。

未来に気持ちが向かうとき。
そういう話をしてる時、参加してるみんなの頭の上に、モワーンと未来の自分たちが見えています。みんなイキイキ、ワクワク、キラキラしてます。

自分が楽しい時っていつかなと思うと、そういう時や、そういう人と話してる時なんです。
獣医の知識や技術を、そういう方向にも使えたらいいなといつも思っています。

とはいえ、不安に苦しんでる人に

「ワクワク楽しくやろうよ!」なんて言ったら、「うるせー!それどころじゃないわー!」ってなりますね。

だから結局、不安を安心に変えていかないとね。それから先を一緒に考えていかないといけないんでしょうね。

というわけで、

不安を安心に変える事、ワクワク未来を語る事、両方合わせて
「きぼうをつくる」と言っています。

 

この「きぼうをつくる」というコンセプトは、臨床診療での現場判断や、飼い主さんに寄り添い、選択を行ってもらう際にも意識しています。

決める痛みと、生まれる希望。臨床獣医の仕事で大切かつ難しい「相手の気持ちを汲む」ということ

こちらの記事は臨床獣医師が現場で直面する共通テーマの内容となりますが
ぜひ読んでいってください。