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若い獣医さんへ。診療現場に「問い」と「答え」はない

診療現場には、「問い」と「答え」はない

はじめたばかりの獣医さんに必ず教える事があって、診療の基本的な考え方を書いてみます。

治療方針を決めるとき、誰でも最初は迷うと思うんです。決めるのが、苦しいと思うんです。私なんかが決めちゃっていいのかな。とか思うんです。

治療って、試験に出るような「問い」と「答え」があって、マルかバツかが決まってて、それでバツがついたら死ぬ。みたいな、そういう事をしてるわけじゃないんですよ。

そういう風に考えたら、そりゃ怖いですよね。
決断できなくなって、いつになったら私はまともな獣医になれるんだろう。と思ってしまいます。

診療するときって、最初の頃は「答え」を探しちゃう。この病気なら、この薬。この治療。このスケジュール。

定型化するのはすごく大切なんだけど、それだと知らない病気に当たったら頭真っ白になっちゃうんです。

誰だって、いきなりなんでも知ってるスーパー獣医にはなれないんだから。

治療ってそういうもんじゃなくて、
最初は病名も答えもない。

ただ、飼い主がやってほしい事と、動物の状態だけがある。

熱があるから、感染か、炎症かな。
便は正常だから消化器はまぁ大丈夫か。
呼吸と心拍早いから貧血か、熱を下げようとしてるのか、または酸素消費が増えてるのか、できないのか。

そんな感じで、からだの恒常性を軸にチェックしていく。
それで、その傾いた恒常性を戻していくように、処置や検査や薬を選択していく。

全部をいきなり正常に持っていくような答えを探してるんじゃなく、どっちかと言えば、こっちやった方が要望に近づくよねという風に。
寒いんだったらあっためた方がいいよね。みたいなね。

それと、生体は基本的に治ろうとする。バランスをもとに戻そうとしている。黙ってたら自分で治ろうとしてるんです。

「牛の力を信じなさい」と、授精師であり牛飼いのゆうきさんは言います。

この方は獣医じゃないけど動物に対する接し方、考え方は的を得ていて、まさにそういう事なんです。

 

獣医診療の仕事は、動物に「添え木」をしてあげること

だから治療って、
ちょっと傾いた木につっかえ棒を付けたり、風が強くて折れそうだったら塀を作ったり、添え木をしたりする事なんです。

すると、そのうち自分でバランスとって、また自分で伸びて行けるようになってくる。

とりあえず塀たてたり、紐で補強してる間に教科書や論文で調べて、幹を強くする栄養剤を見つけて買ってくる。
それで、効果が出てきたらもうこの塀壊してもいいかな。

みたいな事をしてるんです。

誰かが平均台から落ちそうになってグラグラしてる時、横からちょっとだけ手を貸してやる感じ。

するとね。
ふう。あぶねー。。。
治ったわー。
ってなるんです。

向こうに倒れそうならこっちに引っ張る。
こっちに倒れそうなら押してやる。

向こうかこっちか分からないときは、まー分からないので適当にどっちか押してみる。
余計に傾いたら、あ、違ったのねと引っ張り戻す。
そういうのを治療的診断といいます。

違ったら戻すつもりだし、そういう時もいつも決断に苦しむわけじゃないのです。

ベテランの獣医さんはそうやって治療しているんです。それを側から見てると、100発90中くらいに見えるんです。

 

手持ちのカードの中で最善を尽くせばいい。獣医学は学問から、道具にできる

仮に病名がつかなくても、今の手持ちのカードの中で最善のものを使えばいい。
それらのカードは大学と国家試験を通ってる時点でちゃんと持ってるから大丈夫です。どれを使っても、なんらかの結果が出る。

難しい試験問題のように、完全に分からない中で一発を狙うような事はあんまりないんですよ。

牛の力を信じて、ちょっと手を貸してやる事です。
疲れてたら休ませる。
寒かったら温める。
血は止めてやる。
傷口は洗って閉じてやる。

治療ってそういう事です。
普通にやさしく考えたら分かります。

初学の優秀な獣医さん
教育と現場の間で心折れずに、
ちょっとだけ視点を上げてみてください。
その瞬間から、獣医学は学問から道具になります。
今まで努力して得た道具の使い方を覚えましょう。
すぐに自信に満ち活躍する日が来ますから。

あなたの欲しいもの

牛って、草食べますよね。

あんなもん、よく食うよね。

干し草はあんなにパサパサしてて、ヌカ類はあんなにコナコナしてるのに。

ヤギも喜んで走って行って、道に生えてる草を食べてる。

僕たち違う動物だから、欲しいものが違って当たり前なんですよね。

相手が欲しいものが自分と同じだったらいいんですけど、それが自分と違う時、それに気がつく事ってけっこう難しいんですよね。

自分が欲しいものをあげても、相手が欲しいものじゃないと、ただ押し付けてるだけになっちゃう。

でも動物はそのへんドライだから、分かりやすくていいですよね。

要らないものは受け取りません。笑
あ、これ違うのね。とわかる。

かといって、根に持つ事もありません。

きっとそれでいいんだろうな。
それが自然なんだろうね。

下手な気を遣ってくれるより。その方が僕も嬉しい。

ほら。

あ、たべた。

動物に対してイラつく時は、自分自身が原因

「お前!言うこと聞け!」と動物に腹がたつときは、自分自身が原因

たまーになんですけど、動物に腹を立ててしまう時があります。

お前!言うこと聞け!と。

でもね。相手は動物ですから、この場合の怒りは、完全に自分が原因なわけです。

僕の中にイラつきや怒りが出てくるのは何故でしょうか。

 

動物に対して、「思い通りになれ」と理不尽な期待を押し付けている

「おい!治してやるって言ってんだろ!バカ!おとなしくしろ!」

そういう時。怒りが出てくる時。何故腹が立つのか。
それは相手の為ではなく、他でもない自分の為の行動だからじゃないかなと思います。
そいつは僕の為には動いてくれない。
動物に対して、思い通りになれと理不尽に期待してる時です。

ほら、俺はやさしいだろ。すごいだろ。感謝しろよ。という気持ちが欲しいだけ。
治してやるという満足感を押し付けてる時。完全に自己中な時です。

 

動物の相手を変えて、距離感をはかってみる

その腹立たしいアイツがもし、犬じゃなくて、牛だったら?

いや、ハムスターだったら?
いやいや、カブトムシだったら?
バクテリアだったら?

どの段階から、腹立たなくなりますか。
そこが相手に期待しないでいられる距離。相手の都合を優先できる距離。自然に相手を受け入れられる距離感なんでしょう。

え?全部いける?

じゃあ犬じゃなくて、サルだったら?
ヒトだったら?外国人だったら?
アイドルだったら?同僚だったら?
友達だったら?恋人だったら?
配偶者だったら?親だったら?

「あなたの為を思って言ってるのに!」
「あなたが喜ぶと思ってやってるのに!」
「俺の酒が飲めねえのか!」
「俺様はやさしいだろ!嬉しいって言え!!」

……。すみません。取り乱しました。

 

動物はただ、怖がっているだけ、嫌だと思っているだけ

その動物が、どんなに自分に懐かなくても、どんなに暴れて処置を嫌がっても。
その動物はただ、怖がっているだけ、嫌だと思っているだけです。

僕は相手が僕に近いほど、相手を受け入れられなくなる。

遠くの人の幸せを願うのは簡単でも、近い人には腹を立ててしまう。相手都合が分からなくなるみたいです。

「しょうがないよね。箸が使えないのは。だって犬だもん。」と思えなくなる。

いかんいかん。きみは犬なんだから、言ってもしょうがないね。きみには分からないんですよね。そんな事望んでませんよね。

「んー、どうする?きみ、そのままだと死んじゃうよ?」

そいつはそれでも、怖いのだ。生きたいとかは二の次なのだ。
当たり前だが、僕のエゴなどどうでもいいのだ。やさしいって言われたい気持ちなど、ひとから好かれたい気持ちなど、やさしくされたい気持ちなど。

「でも、しょうがないよね。それもきみの人生だし。とにかく怖いんだよね。わかったよ。
まー早く終わらして痛みだけでも取ってやるか。多分すこしは楽になるはずだよ。。。

あ!咬んだな!
こんなにお前の事思っているのに!( *`ω´)」

つたえること、つたわること。読み取る力・受け取る力を伸ばしていこう

「伝える」という行為は、ある意味エゴイスティック

ひとは、自分と同じじゃありません。
やってほしい事は、基本的に伝わりません。
ひとを思い通りに動かそうなんて、なおさらです。

伝えるのは、とても難しい。
伝えようとする事は、ある意味エゴイスティックな行為だからかなと思います。

そもそも伝える必要があるのは、自分の為である事が多いんじゃないでしょうか。
伝えたいひとはたくさんいても、思ってもない事を伝えられたいひとはあんまり居ませんしね。 

そういうわけで、伝えようと必死に努力しても、受け取る側が目を閉じていたら完全に無理です。伝えるテレパシーはないのです。

 

受け取る側には、見ていれば分かることが無数にある。獣医としても。

でもね、
受け取る側には、テレパシーみたいなものがあります。
見てれば分かる事が、無数にあるんです。
会った瞬間に、この人の嬉しさ、悲しさ、怒り、苦しみ。
このくらいは、誰でもすぐ分かるでしょう。

さらに少し話したら、今気になっている事なんかが分かる。

メンタリストダイゴさんが、ヘソをこちらに向けて話してくれないひとは、自分に好意がないと言ってました。細かな説明しても仕方ないのでしませんが、そういうのは大抵合ってますよね。

受け取る力は、もともと誰にもある力です。
ですから望めばすぐ、すごく簡単に身につくんです。

 

獣医さんが診察する時、 今の動物の状態、飼い主さんの状態、今までどんな風に飼われてたのか。どんな風に動物と向き合ってるのか。
それくらいは、会って2つくらい質問するとすぐにわかるんですよ。

あ、この話は今度書きましょうね。

 

受け取る力を、伸ばしていこう

とりあえず、僕は今日も受け取る力を伸ばしていくことにします。

そしたらその人から、受け取る力を自分に向けてもらえる日が来るかもしれません。

自分の気持ちを受け取ってもらえる時が来るかもしれませんから。そう。つたわる時が来るかもしれません。

 

ところで、「顔に書いてある」とはよく言ったもので。隠そうとする事は、大抵うまくいきません。伝わらないように気をつけていても、受け取る側がみるとこ見たら、バレちゃいます。 

今日も僕のズルい心がバレませんように。
頑張っていきましょう。

立て!立つんだ!

と言ってます。

「きぼうをつくる」。私たちが考える獣医の役割

獣医の役割ってなんでしょうね。
仕事してるとよく、「安心した〜」と言ってもらえます。「ありがとう」とも。
役に立ってるようなので素直に嬉しいことです。

僕たちの仕事で顧客の心が大きく動いてる時は、不安から安心に変わった時みたいです。
不安で息も止まりそうな飼い主を横目に手術を無事終えた時はなかなか良いです。
「ハイなおったよ〜。良かったねー。」
と言えますからね。

でも、僕がもっと好きな気持ちはワクワクなんです。ワクワクして動いてるひと。

未来に気持ちが向かうとき。
そういう話をしてる時、参加してるみんなの頭の上に、モワーンと未来の自分たちが見えています。みんなイキイキ、ワクワク、キラキラしてます。

自分が楽しい時っていつかなと思うと、そういう時や、そういう人と話してる時なんです。
獣医の知識や技術を、そういう方向にも使えたらいいなといつも思っています。

とはいえ、不安に苦しんでる人に

「ワクワク楽しくやろうよ!」なんて言ったら、「うるせー!それどころじゃないわー!」ってなりますね。

だから結局、不安を安心に変えていかないとね。それから先を一緒に考えていかないといけないんでしょうね。

というわけで、

不安を安心に変える事、ワクワク未来を語る事、両方合わせて
「きぼうをつくる」と言っています。

 

この「きぼうをつくる」というコンセプトは、臨床診療での現場判断や、飼い主さんに寄り添い、選択を行ってもらう際にも意識しています。

決める痛みと、生まれる希望。臨床獣医の仕事で大切かつ難しい「相手の気持ちを汲む」ということ

こちらの記事は臨床獣医師が現場で直面する共通テーマの内容となりますが
ぜひ読んでいってください。

牛とヤギのちから

牛とヤギ(反芻動物)は草を食べて、肉を作ります。
草はまぁ、なんでもいいんです。

重要なのは、草を肉に変える事。

ヒトは草の一部しか消化できません。
大雑把に言うと、草の汁っぽいところは利用できますが、スジっぽいところは利用できません。

サラダを食べてダイエット!できるのは、単胃動物だけなんです。

えーと、胃がひとつの動物を単胃動物といいます。ヒト、イヌ、ネコなんかです。

話を戻しますと、牛とヤギは、草を食べて太ります。草を分解して、栄養に変えて、肉になってくれます。そこまでやてくれたら、ヒトも、イヌも、ライオンも、食べて栄養として吸収できるようになるんです。

うしさんやぎさんありがとう。

牛とヤギのお話

牛は上の前歯がありません。

ヤギにも上の前歯がありません。

草が歯に挟まらないようにです。

ウソかも。。。そうかも。。。

ヤギ管理者からの

はじめて投稿です。

みなさんよろしく〜。